ただジャンプが好きという理由だけでここまできてしまった。
スモールヒル(K30)からスタートして、ミディアムヒル(K60)を経て、
今は、ノーマルヒル(K90)も飛べるようになった。
この10月には、いよいよラージヒル(K120)で飛ぶことを計画している。
そして今や、憧れの選手と同じチームでジャンプが出来る環境に恵まれた。
ふと、このタイミングで自分とジャンプとの出会いを思い出してみたくなった。
飛び始めてからは3年だけど、
それより前から、15年以上前から、ジャンプとは接点がある。
昔からの記憶をたどってみた。
■記憶にある最初のジャンプとの出会い
小学生の頃、白馬のジャンプ台で試合を見た記憶がある。
長野市の自宅から、朝クルマで出かけていったんだと思う。
到着が遅くなって、ジャンプ台の近くに着く頃には試合はもう終わりかけていた。
クルマの中からジャンプ台が真正面に見えてきたとき、ピンクのスーツを着た選手が赤いラインを越えて行ったのが見えた。
父親が「すごく大きなジャンプ見ちゃった」と言ってたのを覚えている。
後から記録を調べると、1995年の全日本選手権ラージヒルだったみたい。
優勝は、クルマから見たピンクのスーツでK点を越えていった選手、千葉勝利選手だった。
この試合は、当日にテレビ放送もあったので、父親に録画をしてもらったんだけれど、
何度も何度も繰り返し見ていた記憶がある。
低く伸びていって、グライダーみたいに滑空する選手がかっこよくて、ずっと繰り返し見ていた。
■長野五輪。以後急速にのめり込む
そして中学生の頃、地元長野でオリンピックがあった。
船木選手の滑らかで美しい飛型、岡部選手の鋭く低い飛行曲線。
見ていて鳥肌が立った。
このときから、ジャンプに急速にのめり込み、本格的に追いかけ始めた。
テレビ放送があった全試合録画して、トップ選手のテイクオフをことごとくコマ送りで解析してた。
146%ルールのときは憤りも感じたし、その後の岡部さんの復活には大感動した。
現地観戦にもよく出かけた。
毎年白馬のサマーグランプリにも通って、船木さんの深い前傾には驚かされた。
札幌の世界選手権、バンクーバーオリンピックでは現地まで行ってしまった。
ジャンプ競技は、すごく思い入れが強い。
中学生以来10数年、ずっと追いかけ続けてきたし、
普通は音楽にしろ趣味にしろ、好きになったり冷めたりと波があるものだけど、
ジャンプだけは、一定して好きで居続けている。
■ジャンプを飛び始めて
その後、、
約3年前、会社に入ってからだけど、長野県・飯山のコーチ、少年団の皆さまにお世話になり、ジャンプを始めることができた。
ジャンプを始められたことが、人生最高のLuckyだったと確信している。
飛び始めた当初、もちろん理想のジャンプどころではなく、K=30mの小さなジャンプ台で転んでばかりいた。
それでも、十年以上、人生の半分以上にわたって、テレビの中で追いかけ続けてきた「スキー・ジャンプを実際に出来ている」ということが嬉しくて。
ジャンプスーツを着た自分が鏡に映るのを見ると、自然と笑顔になってしまう。嬉しくて楽しくて仕方なかった。年甲斐もなく。
現在の自分の生活を見ても、普段の付き合う仲間も、大半がジャンプ関係を占めている。
ジャンプで人生が変わった!というと大げさに聞こえるけど、
事実として、週末はたいていジャンプを飛んでるし、普段連絡をとる仲間もジャンプ関係が多い。
普段の生活のかなりの部分が、ジャンプを飛ぶ前と後とでは、変わっている。
日常生活が変わるということは、人生が変わったといえると思う。幸せと感じる方向に。
技術的にはまだ駆け出しだけど、3年近くたち、ノーマルヒルは安定的に飛べるようになった。
いよいよ大会にも出たいし、もっともっと遠くへと思ってる。

【写真1】2013.8 札幌荒井山ジャンプ台(K55)

【写真2】2013.9 デビュー2戦目。妙高高原赤倉ジャンプ競技場(K90)
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