約8ヶ月の長野生活が終わり、元の生活に戻ります。
自由時間は多少減ると思うけど、通ってたジムにもまた行けるようになるし、時間を上手くやりくりして、動ける身体づくりというか、ジャンプの準備を進めたいと思っています。
湯田中のよろづや(link)
元全日本ジャンプチームのヘッドコーチ、小野学さんのご実家で、ずっと行ってみたかったところ。
<小野学さん>
すごい方だったと思う。
ジャンプ選手として日本代表クラスの経験があり、さらに抜群のインテリジェンスも兼ね備えた人だった。
60歳手前で、若くして亡くなられてしまったのは、ジャンプ界には大きな損失と思っていた。
・語学が堪能だった
ご本人いわく、教師に恵まれたこともあるが、高校卒業の段階で、英語が母国語でないヨーロッパ人と会話するのには困らなかったそう。
語学力を活かして、欧州遠征たびに、テクニックやマテリアル情報の収集、スキーやスーツメーカーとの接触、交渉、調達ルートの開拓。IOC向けの長野オリンピック招致説明など、多方面で活躍されていたと思う。
・科学的トレーニング
気合根性論一辺倒の否定というか、科学的に意味があるからやる、ということを基本とされていたと思う。
高校で物理を習った際に、落下の計算式を書いて物理学的側面からスキージャンプ競技を理解されていたそうで、ジャンプ競技には、ジャンプ台の構造への興味から入ったフシがある、とのこと。
このようなスタンスをもとに、ジャンプの動作解析ソフトを自作されたり(それもコンピュータが普及する前から)、圧力プレートを白馬に埋め込んだりなど、
それまで感覚的、主観的だったジャンプ技術を定量的に整理し、ナショナルチームのテクニックの基礎を再定義されたのだと思う。
●旅行してきた
先月は、今回の長野生活が終わりに近づいたこともあり、家族で旅行してきました。湯田中のよろづや(link)
元全日本ジャンプチームのヘッドコーチ、小野学さんのご実家で、ずっと行ってみたかったところ。
| 館内にある小野学さんのギャラリー |
| 長野五輪で着用のウェア |
| どうやったら空中で笑顔になれるんだろう |
| 一番良く見てたシーズン 1998-1999 国別対抗で日本が優勝 |
| 国別対抗1位のネーションズカップ 新聞掲載の写真でよく見てた。実物は初めて。 |
<小野学さん>
すごい方だったと思う。
ジャンプ選手として日本代表クラスの経験があり、さらに抜群のインテリジェンスも兼ね備えた人だった。
60歳手前で、若くして亡くなられてしまったのは、ジャンプ界には大きな損失と思っていた。
・語学が堪能だった
ご本人いわく、教師に恵まれたこともあるが、高校卒業の段階で、英語が母国語でないヨーロッパ人と会話するのには困らなかったそう。
語学力を活かして、欧州遠征たびに、テクニックやマテリアル情報の収集、スキーやスーツメーカーとの接触、交渉、調達ルートの開拓。IOC向けの長野オリンピック招致説明など、多方面で活躍されていたと思う。
・科学的トレーニング
気合根性論一辺倒の否定というか、科学的に意味があるからやる、ということを基本とされていたと思う。
高校で物理を習った際に、落下の計算式を書いて物理学的側面からスキージャンプ競技を理解されていたそうで、ジャンプ競技には、ジャンプ台の構造への興味から入ったフシがある、とのこと。
このようなスタンスをもとに、ジャンプの動作解析ソフトを自作されたり(それもコンピュータが普及する前から)、圧力プレートを白馬に埋め込んだりなど、
それまで感覚的、主観的だったジャンプ技術を定量的に整理し、ナショナルチームのテクニックの基礎を再定義されたのだと思う。
・ジャパンマジック
1988カルガリーオリンピックの団体戦最下位から、10年後、1998長野オリンピックでの圧倒的強さでの優勝に至るまでには、小野さんの存在が大きかったと思う。
トレーニングの科学的な裏付け、品質の良いマテリアルの調達など、選手個人個人の努力では越えるのが難しかった情報・環境面の壁を、マネージャーとして1つずつクリアされた結果だと思う。これは、他の人では出来なかったと思う。
その10年間が綴られた小野さんの著書の”ジャパンマジック”は、いつかも書いたけど、3冊持ってる。(今の家用、実家保存用、自炊で電子書籍化するために裁断したやつ)(過去記事)
その10年間が綴られた小野さんの著書の”ジャパンマジック”は、いつかも書いたけど、3冊持ってる。(今の家用、実家保存用、自炊で電子書籍化するために裁断したやつ)(過去記事)
小野さんはめちゃくちゃ頭は切れて、数字や客観的な根拠を元にはされているんだけど、ベースにあるのは、ただただジャンプへの情熱だったのだと思う。
船木さんも、小野さんの追悼ドキュメンタリー番組の中で、”自分よりジャンプが好きな人がいるとしたら、この人しかいないんじゃないか、と思った”と話されていた。
<湯田中温泉 よろづや>
ご実家のよろづやは、湯田中温泉でも由緒ある老舗で、現在は小野学さんのお兄様がオーナーをされている。
オーナーなので、バックヤードにいらっしゃるかと思えば、自らフロントに立ち、接客されていた。
帰り際も、一人で外まで見送りに来ていただいていて、驚いた。
そのときに、小野学さんの大ファンなこと、泊まれて、ギャラリーも見れてよかったことなど、お話することが出来た。
ふと考えてみると、小野学さんは父親と同じ高校の先輩で、父親が1年生のとき3年生として同じ校舎にいらしたようで、そんな縁も感じた。
ちなみによろづやさんは、歴史ある温泉(桃山風呂)もとても有名。
中2〜高1の間のどこかだと思うけど、授業中に設計図書いて、寸法決めてたのを覚えてる。
当初構想では、人形だけじゃなくて、ジャンプ台もつくって、ちゃんと上で人形を離すと滑って、カンテで踏み切って空中姿勢に入る機構を考えてたんだけど、全く上手くいかず。笑
ご実家のよろづやは、湯田中温泉でも由緒ある老舗で、現在は小野学さんのお兄様がオーナーをされている。
オーナーなので、バックヤードにいらっしゃるかと思えば、自らフロントに立ち、接客されていた。
帰り際も、一人で外まで見送りに来ていただいていて、驚いた。
そのときに、小野学さんの大ファンなこと、泊まれて、ギャラリーも見れてよかったことなど、お話することが出来た。
ふと考えてみると、小野学さんは父親と同じ高校の先輩で、父親が1年生のとき3年生として同じ校舎にいらしたようで、そんな縁も感じた。
ちなみによろづやさんは、歴史ある温泉(桃山風呂)もとても有名。
●昔のおもちゃ
引越し準備で実家の整理をしていたら、昔懐かしのジャンプ人形が出てきた。| 懐かしの自作ジャンプ人形 |
中2〜高1の間のどこかだと思うけど、授業中に設計図書いて、寸法決めてたのを覚えてる。
当初構想では、人形だけじゃなくて、ジャンプ台もつくって、ちゃんと上で人形を離すと滑って、カンテで踏み切って空中姿勢に入る機構を考えてたんだけど、全く上手くいかず。笑
人形だけに落ち着いた記憶があります。
しかし、20年以上の時を経て、現存しててびっくり。
しかし、20年以上の時を経て、現存しててびっくり。
この人形は、ふとしたときに、よく手にとってたと思う。
基本的には、人形をいろんな角度から眺めながら、ジャンプはこの角度から見るとかっこいいなとか、
V字の幅、カカトの幅、身体とスキーの距離(=腰の折れ角)を変えながら、自分好みの飛型をつくって満足してたと思う。
| いろんな角度から眺めてた |
あとは扇風機の前でかざすのもよくやってた。
扇風機からの風(=向かい風)に対して、たしかにスキーをV字に開くと、風圧からくる抵抗力を持つ手に感じたし、スキーを閉じると空気がスカスカ通過してしまうのが分かった。
| クラシカルスタイル(スキー揃える)だと、 たしかに扇風機の風は逃げていった。 |
こだわりは、
・ちゃんとスキーの長さを、当時のルール通り、身長の146%にしたこと
・大ファンだった岡部さん風に、右足をわずかに上げた飛型にしたところ。笑
一般的に、大人になって変わる部分も多いだろうけど、変わらない部分もある。
僕の場合、このへんは37歳になっても、15,6歳のときから変わってないですね。
| 岡部さんぽいでしょう。笑 |
一般的に、大人になって変わる部分も多いだろうけど、変わらない部分もある。
僕の場合、このへんは37歳になっても、15,6歳のときから変わってないですね。
●G.Seekers
ちょうど引越し前の今日、内藤智文選手(link)から、ファンクラブのステッカーが届きました。
ステッカーには手紙も添えていただいてあって、、内容が染みました。
note記事も面白いです。
また東京で頑張ります。
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