2020年12月7日月曜日

引越し前の長野で

明日から東京に戻ります。

約8ヶ月の長野生活が終わり、元の生活に戻ります。

自由時間は多少減ると思うけど、通ってたジムにもまた行けるようになるし、時間を上手くやりくりして、動ける身体づくりというか、ジャンプの準備を進めたいと思っています。


●旅行してきた

先月は、今回の長野生活が終わりに近づいたこともあり、家族で旅行してきました。

湯田中のよろづや(link)
元全日本ジャンプチームのヘッドコーチ、小野学さんのご実家で、ずっと行ってみたかったところ。


館内にある小野学さんのギャラリー
長野五輪で着用のウェア
どうやったら空中で笑顔になれるんだろう
一番良く見てたシーズン 1998-1999
国別対抗で日本が優勝
国別対抗1位のネーションズカップ
新聞掲載の写真でよく見てた。実物は初めて。


<小野学さん>
すごい方だったと思う。

ジャンプ選手として日本代表クラスの経験があり、さらに抜群のインテリジェンスも兼ね備えた人だった。

60歳手前で、若くして亡くなられてしまったのは、ジャンプ界には大きな損失と思っていた。

・語学が堪能だった
ご本人いわく、教師に恵まれたこともあるが、高校卒業の段階で、英語が母国語でないヨーロッパ人と会話するのには困らなかったそう。

語学力を活かして、欧州遠征たびに、テクニックやマテリアル情報の収集、スキーやスーツメーカーとの接触、交渉、調達ルートの開拓。IOC向けの長野オリンピック招致説明など、多方面で活躍されていたと思う。

・科学的トレーニング
気合根性論一辺倒の否定というか、科学的に意味があるからやる、ということを基本とされていたと思う。

高校で物理を習った際に、落下の計算式を書いて物理学的側面からスキージャンプ競技を理解されていたそうで、ジャンプ競技には、ジャンプ台の構造への興味から入ったフシがある、とのこと。

このようなスタンスをもとに、ジャンプの動作解析ソフトを自作されたり(それもコンピュータが普及する前から)、圧力プレートを白馬に埋め込んだりなど、

それまで感覚的、主観的だったジャンプ技術を定量的に整理し、ナショナルチームのテクニックの基礎を再定義されたのだと思う。

・ジャパンマジック
1988カルガリーオリンピックの団体戦最下位から、10年後、1998長野オリンピックでの圧倒的強さでの優勝に至るまでには、小野さんの存在が大きかったと思う。

トレーニングの科学的な裏付け、品質の良いマテリアルの調達など、選手個人個人の努力では越えるのが難しかった情報・環境面の壁を、マネージャーとして1つずつクリアされた結果だと思う。これは、他の人では出来なかったと思う。

その10年間が綴られた小野さんの著書の”ジャパンマジック”は、いつかも書いたけど、3冊持ってる。(今の家用、実家保存用、自炊で電子書籍化するために裁断したやつ)(過去記事

小野さんはめちゃくちゃ頭は切れて、数字や客観的な根拠を元にはされているんだけど、ベースにあるのは、ただただジャンプへの情熱だったのだと思う。

船木さんも、小野さんの追悼ドキュメンタリー番組の中で、”自分よりジャンプが好きな人がいるとしたら、この人しかいないんじゃないか、と思った”と話されていた。

念願のサインも書いてもらった。
2005.10.16 岡部さんが復活優勝した白馬記録会の後に。


<湯田中温泉 よろづや>
ご実家のよろづやは、湯田中温泉でも由緒ある老舗で、現在は小野学さんのお兄様がオーナーをされている。

オーナーなので、バックヤードにいらっしゃるかと思えば、自らフロントに立ち、接客されていた。

帰り際も、一人で外まで見送りに来ていただいていて、驚いた。

そのときに、小野学さんの大ファンなこと、泊まれて、ギャラリーも見れてよかったことなど、お話することが出来た。

ふと考えてみると、小野学さんは父親と同じ高校の先輩で、父親が1年生のとき3年生として同じ校舎にいらしたようで、そんな縁も感じた。

ちなみによろづやさんは、歴史ある温泉(桃山風呂)もとても有名。


●昔のおもちゃ

引越し準備で実家の整理をしていたら、昔懐かしのジャンプ人形が出てきた。

懐かしの自作ジャンプ人形

中2〜高1の間のどこかだと思うけど、授業中に設計図書いて、寸法決めてたのを覚えてる。

当初構想では、人形だけじゃなくて、ジャンプ台もつくって、ちゃんと上で人形を離すと滑って、カンテで踏み切って空中姿勢に入る機構を考えてたんだけど、全く上手くいかず。笑

人形だけに落ち着いた記憶があります。

しかし、20年以上の時を経て、現存しててびっくり。

この人形は、ふとしたときに、よく手にとってたと思う。

基本的には、人形をいろんな角度から眺めながら、ジャンプはこの角度から見るとかっこいいなとか、

V字の幅、カカトの幅、身体とスキーの距離(=腰の折れ角)を変えながら、自分好みの飛型をつくって満足してたと思う。

いろんな角度から眺めてた

あとは扇風機の前でかざすのもよくやってた。

扇風機からの風(=向かい風)に対して、たしかにスキーをV字に開くと、風圧からくる抵抗力を持つ手に感じたし、スキーを閉じると空気がスカスカ通過してしまうのが分かった。

クラシカルスタイル(スキー揃える)だと、
たしかに扇風機の風は逃げていった。

こだわりは、
・ちゃんとスキーの長さを、当時のルール通り、身長の146%にしたこと
・大ファンだった岡部さん風に、右足をわずかに上げた飛型にしたところ。笑

岡部さんぽいでしょう。笑

一般的に、大人になって変わる部分も多いだろうけど、変わらない部分もある。

僕の場合、このへんは37歳になっても、15,6歳のときから変わってないですね。


●G.Seekers

ちょうど引越し前の今日、内藤智文選手(link)から、ファンクラブのステッカーが届きました。

ステッカーには手紙も添えていただいてあって、、内容が染みました。

note記事も面白いです。

ジャンプスーツに貼ります!


また東京で頑張ります。


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