●FIT SKI
この夏の一大イベントとして、
所属が決まったことについても書いておきたいと思います。
2013の夏から、船木さん率いるFIT SKIに所属が決まりました。
●大会へのエントリが可能に
おかげで、試合に出場出来るようになりました。(所属チームがあることが、試合エントリーに必要)
これまではずっとテストジャンパーしていましたが、やっぱり、選手として出たかった。
緊張感ある中で飛んでみたかった。公式リザルトとしてジャンプが記録される環境で飛んでみたかった。
結果、夏だけで4試合に出場することが出来た。
・塩沢8/26
・妙高9/1
・鹿角10/26
・飯山11/10
また、試合に出場出来たことで、トップ選手のアップの仕方、どの時間帯でどんな準備をしているかなどもを観察できた。
成果としては、岡部さんのストレッチを観察して、2つほどやり方を習得した。笑
もちろん、FIT入部にあたっては、あの船木さんのチームなので、ほんとにいいのかな、、と思ったりもした。
船木さんといえば、僕にとって子供の頃から憧れ続けた、TVの中のヒーローだ。
同じチームと言われても、未だに現実感がなかったりする。
それでも、自分の中で決め手になったのは2つ。
①大会に出たかった
②技術的にも、ノーマルヒル以上を安定的に飛べる確信が持てた(ノーマルヒル以上なら試合がある)
この所属に関しては、ジャンプを始めた頃を考えると、思えば遠くにきた、、と自分でも思う。
中学生の自分に見せたら、さすがに驚くだろうなと思う。
でも、ベストな環境をもらえたことは間違いがないので、
より遠くに飛ぶために、作戦を立てたり、身体を動かしたり、するだけだ。
●ありがたかったこと
また、試合に出て感じたのが、FITファンの皆さまの温かさだ。
FIT meetingでお会いした皆さま。試合会場でも、暖かく応援していただけた。
自分が話した目標(テレマーク入れる!)を覚えてくださっていた方もいて。
試合会場でお会いできて嬉しかったし、ありがたい。
妙高でも着陸後に声かけてもらったり、飯山の大会でもお会いできた方もいた。
選手によっては「集中したいから」などあるかもしれないけど、僕は声かけていただけると確実に嬉しい。
声かけてもらえると、ぐっと身体の内側から、炎が燃え上がってくる感じだ。
「ファンの声援は力になる」というようなことを良くスポーツ選手が言っているけど、少し実感をもって分かる気がした。
もちろん自分にはファンの方なんていないけど、FITファンの方々のおかげで、その気持ちを味あわせてもらった気がする。
それにしても、船木さんはじめ、FITチームの関連の方々もそう、僕みたいなよく分かんないジャンパーのために、手間暇かけて、気にかけてくれて、選手登録してもらったりとか、いろいろな行動まで起こしてくれる。本当にありがたい。
こういう、損得のない人の行動に感動する。
恩人、どの世界にもいるものだな。。
●もっと遠くへ
もう、今シーズンはスキージャンパーとして突き進もう。
上手くなって何になるの?の問いはあるかもしれないけど、何を言われても揺るがない。
もっと飛びたい。今シーズン、ノーマルヒルでもK点を越えたい。
もちろん、選手としての限界はあるわけだ。
ワールドカップとか日本代表とか、そういうレベルを目指すバックグラウンドでも年齢でもない。
だから、上手くなって何になるの?とは思うけど、上手くなりたい。笑
ジャンプは子供の頃からやってないとだめ、危険だ、素人に出来るようなものじゃない、等々、
そんな話がいろいろあるかもしれないけど、全部他人事に思えてた。
僕自身としては、もっと遠くに飛びたい、飛べるはずだと思って過ごしてきた。
練習したり、動画解析したり、次の合宿で試したいことをまとめたりするうちに、初めてミディアムヒルを飛べるようになり、ノーマルヒルも飛べるようになり、いろんなところに行った。妙高、宮の森、塩沢、白馬。そして、今年はラージヒルも飛べた。FITにも参加出来た。
初めから今みたいな環境を思い浮かべてたわけではなくて、もっと遠くにと思いながら、本当に1つ1つ進んで来ている感じ。だから、これからも次ステップに進んでいけると思う。
2013年11月30日土曜日
2013年10月20日日曜日
■ジャンプエピソード(2/2) ジャンプ動作解析
そして何より、僕のジャンプ生活の根幹はここにある。
3.ジャンプテクニックの解析
ジャンプの長距離を出すための基本理論を、自分で納得がいくレベルで理解していた。
■ずっと見てたテレビ中継
僕の中に刻まれてるジャンプの基本理論は、大半がテレビ放送の解説から来ている。
八木弘和さん、小野学さんの解説が、自分のベースになっている。
2020/5 追記:
八木さん、小野さんどちらも、今振り返っても素晴らしい解説をされていたと思う。このお二人が解説されてた時代にずっとジャンプを見ていられたのは、とても大きな幸運だった。
最近では、一戸さんの解説がすごく好き。物理現象に忠実な感じで、小野さんを連想した。竹内元康さんの解説も、実況アナばりに盛り上げてくれて楽しい。
長野五輪以降ずっと、ジャンプの大会は全て録画するようになった。たくさん試合の放送を見た。
中学生の頃の思い出というと、自宅でばあちゃんとお茶を飲みながら、延々とジャンプを見てた思い出が一番印象強い。今既に87歳だけど、船木、岡部、原田、葛西、斎藤、宮平、シュミット、アホネン、マリシュ、、このあたりの名前は今も覚えてる。一緒に繰り返し見てたからだ。
ここで、僕はテイクオフ動作をコマ送りすることで、個性の強かったトップ選手たちの動作を解析を始めた。
というのも、放送の中で解説者はジャンプに対して様々なコメントを言うけれど、
その言葉の中から、成功ジャンプと失敗ジャンプの違いや、良いジャンプとはどういうものか、強い選手の特徴は何なのかなどを、実際の映像の中で理解したかったからだ。
そしてこのときの動作解析の経験が、ジャンプを実際に飛び始めた今、すごく活きている。
■動作解析:解説者の言葉を自分の目で裏付ける
例えば、原田選手は高く、船木選手は低くといったような言葉はよく耳にしたけれど、
映像を見ながら、実際の動作として何がどう違うんだ?といったことを、自分の目で確認していた。
また、解説者(八木さん)が、テイクオフのタイミングが早かった、方向が上だった、などと言っていたとしたら、これもテイクオフをコマ送りすることで、このタイミングだったら早いのか、ではどこだったら遅いんだ?本来の方向はどこなんだろう、などいろんな選手のジャンプを比較しながら確認していた。
解説者のコメントは、ほとんど全て納得して理解するまで、自分の中に落としこんでいた。
だからこそ、成功ジャンプと失敗ジャンプの違いなど、かなり把握出来るようになっていたと思う。
TV中継を見ていても、選手が飛び出した瞬間にある程度の飛距離が分かるようになっていた。
■技術が分かるからこそ感じられたこと
ここで、1998-1999シーズンから施行されたルール改正(いわゆる「146%ルール」)は印象深い。
長身選手が相対的に有利になったスキーの長さのルール改正だ。
これも、ジャンプを見ていて技術的に良し悪しが分かってきたからこそ、印象が深くなっている。
このルール施行後、優勝している長身選手のテクニックが、どうしても上手と思えなかったことがあった。長身選手が技術的に明らかに失敗しているジャンプなのに、身長の低い岡部選手より遠くに飛んでしまう。岡部選手といえば、世界トップクラスの実力者だ。世界選手権優勝、当時ワールドカップで表彰台に登った回数は日本人最多だった。それなのに、成功ジャンプをしても、長身選手の失敗ジャンプに及ばない。そんなこんなで、ルールに全く納得がいかず一人でモヤモヤしていた。
■テクニックの変化に気付ける
また、シーズンをまたぐと、前年と飛び方を変えてきている選手がいることに気づく。
例えば岡部選手は、短いスキーで浮力をつかむため、V字の幅を広げたり、
テイクオフの方向を上向きに変えて、落下の力でスキーと身体に一体感を持たせたりなどしていた。
さらに、風によって空中のスキーの角度を変えたり、ジャンプ台の大きさや形状によっても飛び方が違うことも把握。テイクオフで失敗したときの空中で前傾をかけるタイミング、スキー角度でフォローが出来るなども理解。
■好きだった本
あと、ジャンプの本も読んだ。
もともと資料が少ないスポーツだけど、圧倒的名著だと思うものはこれ。
・ジャパンマジック 金メダルへのフライト(小野学 著)
父親が見つけて買ってきてくれた記憶がある。今は買い足して3冊くらい持ってる。名著すぎて。
次点としてはこれら。
・白い森、風の丘 ノルディック複合・スキージャンプ日本チームの軌跡 (竹内 浩 著)
・誰よりも遠くへ 原田雅彦と男達の熱き闘い (折山 淑美 著)
テレビ中継の八木さん、小野さんらの書籍、そして自分でやった解析によって、ジャンプ動作の基本を理解していた。上半身を起こすことがいかに悪か、スキーを立てるのは飛行効率が極めて悪いということを理解した。さらには効率の良いテイクオフ、飛型の違いと空中効率の関係、スキー・スーツのルール変更に合わせたテクニックの変化など、長距離を出せるジャンプがどういうものかが、自分の中で体系づいていた。
そして何を隠そう、Wikipediaで「岡部孝信」の記事を書いたのは、大半がこの僕だ。5年ほど前に、ここまで書けるのは世界で自分しかいないと確信して、使命感を感じて書いた。笑
その後ほとんどアップデートされないので、やはり書いておいて良かったと思う。
たぶん、ここまで詳しいのは世界に誰もいない。と思ってたけど、驚異的と感じたやつが一人だけいた。あいつはすごい。でも、僕らが世界のトップ2な気はすごくしている。
このときの解析生活の積み重ねが、実際にジャンプを飛んでいる今、確実に生きている。
■ジャンプを飛ぶときに生きていること
同じく大人になってからジャンプを始めた大学生と比べて、
自分はぶっちぎりで強いと思うんだけど、その差は全てここにある。
まず、自分で自分のジャンプを見て、良し悪しが分かり、課題を見つけ出せる。
だから自分で修正点を絞って、改善に向けたイメージをつくることが可能だ。
何をすればいいか分からない、ということがほとんどない。方向性を見失うことが極端に少ないと思う。
そしてコーチからアドバイスを受けても、理解の早さと深さが段違いなはず。
アドバイスをきいて、内容を即座に直感的につかめる。
ああ、葛西紀明ぽくってことか、とか、あのときの船木さんのアプローチみたいな感じだな、とか。あの岡部さんのシミュレーションみたいにテイクオフすればいいってことだな、とか。
アドバイスが、文字ではなく映像で感じられる。百聞は一見に如かず、を地でいける感じ。
自分のこれまでのトレーニングで、上手く機能していると思うことを書き出すと、以下の3つだ。
(1)ゴールを知っている
何よりジャンプが好きだし、好きだからこそ調べあげていて、技術的な正解を知っていること。
(2)現状把握
自分のジャンプ映像を見て、自分で良し悪しのジャッジが出来る。かつ、自分の映像を見ることに対して貪欲で、自分のジャンプを飛んだ時の感覚=主観的、かつ、ビデオ映像を通して客観的にも把握している。
(3)ゴールと現状の穴埋めの方法を日常的に考えている
技術的な正解を理解しているから、それを元にイメージトレーニングができ、合理的な身体の使い方をジャンプ台にいなくても模索できる。かつ、それを相当量している。平日の間にイメージをつくって、週末はそれを試す、というサイクルが定着している。
これら以外にも、他の選手から吸収するためのテクニックの観察とか、不調時でも精神状態を平常に保っていられる落ち着きとか、いくつかあると思う。でも、メインは上の3つだ。
特にイメージは、つくるのにすごく時間がかかる。
というのも、ジャンプのスタートから着地までのイメージは、(1)技術的な正解を知っていて、かつ(2)自分の現状を知っていて、(3)その穴埋め方法を考え抜いて、ようやくつくれるものだと思うから。
ジャンプ台に行ってから出来るようなものではない。前の日とか、もっと前の日とか。何日もかけて、ようやく出来てくるもの。
そして、それを実現するのが週末のジャンプ台なわけだ。
■大学生チームに思うこと
一緒に練習している大学生チームが僕にかなわないとしたら、それは上記の(1)~(3)で圧倒的な差があるからだ。筋力などは、普段から身体を動かせる環境にある彼らの方がはるかに強いけど、ここに差がある。
つまり、長距離を飛ぶには、ジャンプ台についてから頑張り始めてるだけでは足りない。
実現したいイメージがないまま、急にジャンプ台に来てから張り切ってみても、何をすべきかすら分からないまま、本数だけが過ぎていくだろう。
だから、もしより遠くに飛びたいと思うなら、ぜひ(1)~(3)をやってほしいと思う。
彼らとは、5年後も10年後も、一緒に飛び続けて、競い合いたい。
個人戦も団体戦もやって、プレッシャーをかけ合いながら飛んでいたい。
だからきっと楽しいと思うのが、数年後に全員がHSを狙えるチームになり、紅白戦するとか。
そういったみんなで試合が出来ると思うと、楽しみきわまりない。
自分自身も、ラージヒルでK点を越えていけるまで、137mラインを踏むまで、ジャンプを離したくない。
もっともっと、遠くへ遠くへ、飛びたい。
3.ジャンプテクニックの解析
ジャンプの長距離を出すための基本理論を、自分で納得がいくレベルで理解していた。
■ずっと見てたテレビ中継
僕の中に刻まれてるジャンプの基本理論は、大半がテレビ放送の解説から来ている。
八木弘和さん、小野学さんの解説が、自分のベースになっている。
2020/5 追記:
八木さん、小野さんどちらも、今振り返っても素晴らしい解説をされていたと思う。このお二人が解説されてた時代にずっとジャンプを見ていられたのは、とても大きな幸運だった。
最近では、一戸さんの解説がすごく好き。物理現象に忠実な感じで、小野さんを連想した。竹内元康さんの解説も、実況アナばりに盛り上げてくれて楽しい。
長野五輪以降ずっと、ジャンプの大会は全て録画するようになった。たくさん試合の放送を見た。
中学生の頃の思い出というと、自宅でばあちゃんとお茶を飲みながら、延々とジャンプを見てた思い出が一番印象強い。今既に87歳だけど、船木、岡部、原田、葛西、斎藤、宮平、シュミット、アホネン、マリシュ、、このあたりの名前は今も覚えてる。一緒に繰り返し見てたからだ。
ここで、僕はテイクオフ動作をコマ送りすることで、個性の強かったトップ選手たちの動作を解析を始めた。
というのも、放送の中で解説者はジャンプに対して様々なコメントを言うけれど、
その言葉の中から、成功ジャンプと失敗ジャンプの違いや、良いジャンプとはどういうものか、強い選手の特徴は何なのかなどを、実際の映像の中で理解したかったからだ。
そしてこのときの動作解析の経験が、ジャンプを実際に飛び始めた今、すごく活きている。
■動作解析:解説者の言葉を自分の目で裏付ける
例えば、原田選手は高く、船木選手は低くといったような言葉はよく耳にしたけれど、
映像を見ながら、実際の動作として何がどう違うんだ?といったことを、自分の目で確認していた。
また、解説者(八木さん)が、テイクオフのタイミングが早かった、方向が上だった、などと言っていたとしたら、これもテイクオフをコマ送りすることで、このタイミングだったら早いのか、ではどこだったら遅いんだ?本来の方向はどこなんだろう、などいろんな選手のジャンプを比較しながら確認していた。
解説者のコメントは、ほとんど全て納得して理解するまで、自分の中に落としこんでいた。
だからこそ、成功ジャンプと失敗ジャンプの違いなど、かなり把握出来るようになっていたと思う。
TV中継を見ていても、選手が飛び出した瞬間にある程度の飛距離が分かるようになっていた。
■技術が分かるからこそ感じられたこと
ここで、1998-1999シーズンから施行されたルール改正(いわゆる「146%ルール」)は印象深い。
長身選手が相対的に有利になったスキーの長さのルール改正だ。
これも、ジャンプを見ていて技術的に良し悪しが分かってきたからこそ、印象が深くなっている。
このルール施行後、優勝している長身選手のテクニックが、どうしても上手と思えなかったことがあった。長身選手が技術的に明らかに失敗しているジャンプなのに、身長の低い岡部選手より遠くに飛んでしまう。岡部選手といえば、世界トップクラスの実力者だ。世界選手権優勝、当時ワールドカップで表彰台に登った回数は日本人最多だった。それなのに、成功ジャンプをしても、長身選手の失敗ジャンプに及ばない。そんなこんなで、ルールに全く納得がいかず一人でモヤモヤしていた。
■テクニックの変化に気付ける
また、シーズンをまたぐと、前年と飛び方を変えてきている選手がいることに気づく。
例えば岡部選手は、短いスキーで浮力をつかむため、V字の幅を広げたり、
テイクオフの方向を上向きに変えて、落下の力でスキーと身体に一体感を持たせたりなどしていた。
さらに、風によって空中のスキーの角度を変えたり、ジャンプ台の大きさや形状によっても飛び方が違うことも把握。テイクオフで失敗したときの空中で前傾をかけるタイミング、スキー角度でフォローが出来るなども理解。
■好きだった本
あと、ジャンプの本も読んだ。
もともと資料が少ないスポーツだけど、圧倒的名著だと思うものはこれ。
・ジャパンマジック 金メダルへのフライト(小野学 著)
父親が見つけて買ってきてくれた記憶がある。今は買い足して3冊くらい持ってる。名著すぎて。
次点としてはこれら。
・白い森、風の丘 ノルディック複合・スキージャンプ日本チームの軌跡 (竹内 浩 著)
・誰よりも遠くへ 原田雅彦と男達の熱き闘い (折山 淑美 著)
テレビ中継の八木さん、小野さんらの書籍、そして自分でやった解析によって、ジャンプ動作の基本を理解していた。上半身を起こすことがいかに悪か、スキーを立てるのは飛行効率が極めて悪いということを理解した。さらには効率の良いテイクオフ、飛型の違いと空中効率の関係、スキー・スーツのルール変更に合わせたテクニックの変化など、長距離を出せるジャンプがどういうものかが、自分の中で体系づいていた。
そして何を隠そう、Wikipediaで「岡部孝信」の記事を書いたのは、大半がこの僕だ。5年ほど前に、ここまで書けるのは世界で自分しかいないと確信して、使命感を感じて書いた。笑
その後ほとんどアップデートされないので、やはり書いておいて良かったと思う。
たぶん、ここまで詳しいのは世界に誰もいない。と思ってたけど、驚異的と感じたやつが一人だけいた。あいつはすごい。でも、僕らが世界のトップ2な気はすごくしている。
このときの解析生活の積み重ねが、実際にジャンプを飛んでいる今、確実に生きている。
■ジャンプを飛ぶときに生きていること
同じく大人になってからジャンプを始めた大学生と比べて、
自分はぶっちぎりで強いと思うんだけど、その差は全てここにある。
まず、自分で自分のジャンプを見て、良し悪しが分かり、課題を見つけ出せる。
だから自分で修正点を絞って、改善に向けたイメージをつくることが可能だ。
何をすればいいか分からない、ということがほとんどない。方向性を見失うことが極端に少ないと思う。
そしてコーチからアドバイスを受けても、理解の早さと深さが段違いなはず。
アドバイスをきいて、内容を即座に直感的につかめる。
ああ、葛西紀明ぽくってことか、とか、あのときの船木さんのアプローチみたいな感じだな、とか。あの岡部さんのシミュレーションみたいにテイクオフすればいいってことだな、とか。
アドバイスが、文字ではなく映像で感じられる。百聞は一見に如かず、を地でいける感じ。
自分のこれまでのトレーニングで、上手く機能していると思うことを書き出すと、以下の3つだ。
(1)ゴールを知っている
何よりジャンプが好きだし、好きだからこそ調べあげていて、技術的な正解を知っていること。
(2)現状把握
自分のジャンプ映像を見て、自分で良し悪しのジャッジが出来る。かつ、自分の映像を見ることに対して貪欲で、自分のジャンプを飛んだ時の感覚=主観的、かつ、ビデオ映像を通して客観的にも把握している。
(3)ゴールと現状の穴埋めの方法を日常的に考えている
技術的な正解を理解しているから、それを元にイメージトレーニングができ、合理的な身体の使い方をジャンプ台にいなくても模索できる。かつ、それを相当量している。平日の間にイメージをつくって、週末はそれを試す、というサイクルが定着している。
これら以外にも、他の選手から吸収するためのテクニックの観察とか、不調時でも精神状態を平常に保っていられる落ち着きとか、いくつかあると思う。でも、メインは上の3つだ。
特にイメージは、つくるのにすごく時間がかかる。
というのも、ジャンプのスタートから着地までのイメージは、(1)技術的な正解を知っていて、かつ(2)自分の現状を知っていて、(3)その穴埋め方法を考え抜いて、ようやくつくれるものだと思うから。
ジャンプ台に行ってから出来るようなものではない。前の日とか、もっと前の日とか。何日もかけて、ようやく出来てくるもの。
そして、それを実現するのが週末のジャンプ台なわけだ。
■大学生チームに思うこと
一緒に練習している大学生チームが僕にかなわないとしたら、それは上記の(1)~(3)で圧倒的な差があるからだ。筋力などは、普段から身体を動かせる環境にある彼らの方がはるかに強いけど、ここに差がある。
つまり、長距離を飛ぶには、ジャンプ台についてから頑張り始めてるだけでは足りない。
実現したいイメージがないまま、急にジャンプ台に来てから張り切ってみても、何をすべきかすら分からないまま、本数だけが過ぎていくだろう。
だから、もしより遠くに飛びたいと思うなら、ぜひ(1)~(3)をやってほしいと思う。
彼らとは、5年後も10年後も、一緒に飛び続けて、競い合いたい。
個人戦も団体戦もやって、プレッシャーをかけ合いながら飛んでいたい。
だからきっと楽しいと思うのが、数年後に全員がHSを狙えるチームになり、紅白戦するとか。
そういったみんなで試合が出来ると思うと、楽しみきわまりない。
自分自身も、ラージヒルでK点を越えていけるまで、137mラインを踏むまで、ジャンプを離したくない。
もっともっと、遠くへ遠くへ、飛びたい。
■ジャンプエピソード(1/2) ぷちエピソード
これまでのジャンプ生活の思い出をいくつか挙げてみようと思う。
特に中高生の頃は、24hのうちのかなりの時間、ジャンプのことを考えていた気がする。
1.家の中トレーニング
これはわりと最近の話。2年くらい前のこと。
今思うとよくやるわと思うけど、部屋の中で全力テイクオフしてた。
固定カメラをムービーでセットして、スタートからテイクオフまでを実行。録画して動作チェックをしてた。
思い切りテイクオフできるようにフトンを重ねてクッションを十分につくっておいた。
スタート後のアプローチのセットアップの動作を確認したり、テイクオフの方向を様々に変えてみて高さやヒザの戻りがどう変わるかを試してた。
本当に全力で飛んでたので、下の階の人には申し訳ない。笑
最大限の配慮として、フトン厚めにひいて、なるべくやわらかく着地したつもり。
その他、いわゆる階段テレマークは基本中の基本。階段降りるとき、最後の数段を飛び降りて、着地はテレマークを入れる。
また、階段を登りながら重心位置チェック。重心が後ろに逃げない、かつ骨盤が丸くなっていない状態なら、ちゃんと階段登るときの足裏からの上昇力を骨盤に伝えられる。
デスク付近の人と話すときは、いわゆる不良座り。足首やわらかくなるように。立ち話するときは、片足ずつテイクオフの踏みつけ動作をしながら話してる。あと、会社のロッカールームはいつも人がいなかったので、一人でアプローチを組んでたこともあった。
要は、生活の中にジャンプ要素を入れることがポイントなのだ。
2.就職活動
これはちょっと昔の話。
就職活動のとき、当時一番行きたかった会社でもジャンプのことを話した。
当時はエンジニアとして、ソニーに行こうと思っていた。中学生頃から好きだった会社で、第一志望だった。そのエントリーシートでジャンプのことを書いた。
就職活動においては、多くの大学生が研究、サークル、アルバイト、留学、、といったことを話す中、スキージャンプはかなりチャレンジングなテーマだったと思う。でも、僕は第一志望の会社でそれをやってみた。
書いた理由は、まずは単純に、ずっと続けてきたスキージャンプの動作解析について、そこで発揮した分析力や行動力は研究開発分野にハマると思ったから。そして、かつて自由闊達と言われたソニーなら、他の学生が専門の研究成果や学会発表をアピールする中でも、ジャンプという一風変わったテーマに対しても、興味を持って受け入れてくれる土壌があるんじゃないかと思ったから。
結果、選考ではOKをもらった。「学生時代、夢中になって取り組んだこと」に、日常的にやっていたジャンプの動作解析のことを自分の言葉で書いた。
内容的には、ジャンプ競技は比較的単純動作のスポーツであるため科学の入り込める余地が大きく、何かしら科学的な解答を得られるのではないかと思ったこと。実際の解析の様子や、解析する材料集めであれこれと行動したこと、得られた結果等を書いた。
リクルーターも「またコアな、、笑」と言いながらも、ジャンプは純粋な物理学に近いところもあるのでと説明すると、うんうんと、しっかり聞いてくれた。
結局気が変わってソニーには入らなかったんだけど、、今も変わらず好きな会社。
ソニーは本当に大好きで、その気持ちはいわゆるソニー神話が残ってる皆さまと同じだと思う。
ソニー大好きだった中学生頃、父親が自宅付近の平安堂(長野ローカル書店だけど、そこそこの規模と思う)でこの本を買ってくれた。
・ソニー自叙伝 [単行本] ソニー広報センター (著) CD-ROM付き
中学生だったけど、一気に読んじゃった。ソニーが絶好調の頃の話。不景気の中、最高益を伸ばし続けてた。創業時からトランジスタラジオなどのヒット製品が続き、当時はFD Trinitron/WEGAとかPlay Stationが大ヒットしてた。
最近はXperia、Walkman、Cybershotと活気を取り戻しつつあるように思えていて、欲しい!と思う製品がようやく出始めてきた。WalkmanのS-master、BraviaのX-reality Pro、Cybershotのフルサイズ裏面照射CMOSセンサ。ようやく復活の兆しが出てきた。嬉しい。
ものすごく脱線したけど、次、2/2はいよいよ本題のジャンプ。
特に中高生の頃は、24hのうちのかなりの時間、ジャンプのことを考えていた気がする。
1.家の中トレーニング
これはわりと最近の話。2年くらい前のこと。
今思うとよくやるわと思うけど、部屋の中で全力テイクオフしてた。
固定カメラをムービーでセットして、スタートからテイクオフまでを実行。録画して動作チェックをしてた。
思い切りテイクオフできるようにフトンを重ねてクッションを十分につくっておいた。
スタート後のアプローチのセットアップの動作を確認したり、テイクオフの方向を様々に変えてみて高さやヒザの戻りがどう変わるかを試してた。
本当に全力で飛んでたので、下の階の人には申し訳ない。笑
最大限の配慮として、フトン厚めにひいて、なるべくやわらかく着地したつもり。
その他、いわゆる階段テレマークは基本中の基本。階段降りるとき、最後の数段を飛び降りて、着地はテレマークを入れる。
また、階段を登りながら重心位置チェック。重心が後ろに逃げない、かつ骨盤が丸くなっていない状態なら、ちゃんと階段登るときの足裏からの上昇力を骨盤に伝えられる。
デスク付近の人と話すときは、いわゆる不良座り。足首やわらかくなるように。立ち話するときは、片足ずつテイクオフの踏みつけ動作をしながら話してる。あと、会社のロッカールームはいつも人がいなかったので、一人でアプローチを組んでたこともあった。
要は、生活の中にジャンプ要素を入れることがポイントなのだ。
2.就職活動
これはちょっと昔の話。
就職活動のとき、当時一番行きたかった会社でもジャンプのことを話した。
当時はエンジニアとして、ソニーに行こうと思っていた。中学生頃から好きだった会社で、第一志望だった。そのエントリーシートでジャンプのことを書いた。
就職活動においては、多くの大学生が研究、サークル、アルバイト、留学、、といったことを話す中、スキージャンプはかなりチャレンジングなテーマだったと思う。でも、僕は第一志望の会社でそれをやってみた。
書いた理由は、まずは単純に、ずっと続けてきたスキージャンプの動作解析について、そこで発揮した分析力や行動力は研究開発分野にハマると思ったから。そして、かつて自由闊達と言われたソニーなら、他の学生が専門の研究成果や学会発表をアピールする中でも、ジャンプという一風変わったテーマに対しても、興味を持って受け入れてくれる土壌があるんじゃないかと思ったから。
結果、選考ではOKをもらった。「学生時代、夢中になって取り組んだこと」に、日常的にやっていたジャンプの動作解析のことを自分の言葉で書いた。
内容的には、ジャンプ競技は比較的単純動作のスポーツであるため科学の入り込める余地が大きく、何かしら科学的な解答を得られるのではないかと思ったこと。実際の解析の様子や、解析する材料集めであれこれと行動したこと、得られた結果等を書いた。
リクルーターも「またコアな、、笑」と言いながらも、ジャンプは純粋な物理学に近いところもあるのでと説明すると、うんうんと、しっかり聞いてくれた。
結局気が変わってソニーには入らなかったんだけど、、今も変わらず好きな会社。
ソニーは本当に大好きで、その気持ちはいわゆるソニー神話が残ってる皆さまと同じだと思う。
ソニー大好きだった中学生頃、父親が自宅付近の平安堂(長野ローカル書店だけど、そこそこの規模と思う)でこの本を買ってくれた。
・ソニー自叙伝 [単行本] ソニー広報センター (著) CD-ROM付き
中学生だったけど、一気に読んじゃった。ソニーが絶好調の頃の話。不景気の中、最高益を伸ばし続けてた。創業時からトランジスタラジオなどのヒット製品が続き、当時はFD Trinitron/WEGAとかPlay Stationが大ヒットしてた。
最近はXperia、Walkman、Cybershotと活気を取り戻しつつあるように思えていて、欲しい!と思う製品がようやく出始めてきた。WalkmanのS-master、BraviaのX-reality Pro、Cybershotのフルサイズ裏面照射CMOSセンサ。ようやく復活の兆しが出てきた。嬉しい。
ものすごく脱線したけど、次、2/2はいよいよ本題のジャンプ。
2013年10月15日火曜日
白馬!ラージヒル!初フライト!
先日、白馬のラージヒルに初トライしてきました。(2013 10/14)
ジャンプを飛び始めてからちょうど3年。
白馬のラージヒルといえば、いろんな名場面がある。
長野五輪とか、あの団体戦の舞台とか、船木さんが優勝したりとか。
ただ、今回は飛ぶぞと思い立ったあとは、そういった感慨深いところは、自分の気持ちの中ではあまり顔を出さなかった。
かわりにずっと考えていたのは、どうやってアプローチを滑ろうかとか、Rを通過したときはどのくらいGがかかるんだろうとか、テイクオフのときの目線をどこに置こうかとか、そんなことばかり。飛ぶ前の週には、夢でこのラージヒルを飛ぶシーンが出てきたくらい。
夢の中で見た空中の風景とか、まだ覚えてる。
この日は、晴天無風で絶好のジャンプ日和だった。
やっぱりでかいな、がスタート台に登った印象。同時に、大丈夫だな、ちゃんと飛べる、とも思えた。
いざスタートゲートに座ってからは、イメージしておいた通り、身体中リラックスしてスタートして、なるべく遠くに視線をおいてテイクオフ。
ここは飛行曲線が低くてすごく飛びやすい。
全然普通に飛べてしまったというのが、初ジャンプを終えたあとの正直な感想。空中も安定して飛んでいけた。
着陸後は観光客の拍手とか、リフトに乗るところでは「いま飛んでた方ですか?さっき見ましたー!」とか。そういう声かけてもらうと気分ものっていける。強いジャンパーは、間違いなくお調子者が多い気はする。
この日は一緒に行った仲間3人しか、ラージヒルは飛ばなかったみたい。貸し切り状態で、いつもの自分のペースで準備できたのも、最初なので良かったかも。
それにしても、この日をきっかけに、白馬大好きになってきた。
ノーマルもラージも、どちらもアプローチがすごく滑りやすい。座るゲートの高さが低くて、ちゃんと足がつくのでスタートしやすい。さらにラージは感動的に低い飛行曲線!観光客の皆さまに囲まれると気分も盛り上がる。この台はたのしい!!
そして、ずっと技術的なこと考えて飛んでたけど、何だかんだ言ってこの日着てたアンダーウェアは、船木さんからいただいたもの。白馬で飛ぶなら、これ着たいと思って、お守りを身につけているような気持ちで飛んだ。
ただ、もっと飛びたい。もっといきたい。
もっと空中の滞空時間の長さを感じたいと思った初ラージヒルでした。

【写真①】ノーマルヒルコーチボックスより

【写真②】ラージヒルのアプローチ。後ろには観光客の皆さま。

【写真③】ラージヒルでのフライト。写真②の数秒後。
ジャンプを飛び始めてからちょうど3年。
白馬のラージヒルといえば、いろんな名場面がある。
長野五輪とか、あの団体戦の舞台とか、船木さんが優勝したりとか。
ただ、今回は飛ぶぞと思い立ったあとは、そういった感慨深いところは、自分の気持ちの中ではあまり顔を出さなかった。
かわりにずっと考えていたのは、どうやってアプローチを滑ろうかとか、Rを通過したときはどのくらいGがかかるんだろうとか、テイクオフのときの目線をどこに置こうかとか、そんなことばかり。飛ぶ前の週には、夢でこのラージヒルを飛ぶシーンが出てきたくらい。
夢の中で見た空中の風景とか、まだ覚えてる。
この日は、晴天無風で絶好のジャンプ日和だった。
やっぱりでかいな、がスタート台に登った印象。同時に、大丈夫だな、ちゃんと飛べる、とも思えた。
いざスタートゲートに座ってからは、イメージしておいた通り、身体中リラックスしてスタートして、なるべく遠くに視線をおいてテイクオフ。
ここは飛行曲線が低くてすごく飛びやすい。
全然普通に飛べてしまったというのが、初ジャンプを終えたあとの正直な感想。空中も安定して飛んでいけた。
着陸後は観光客の拍手とか、リフトに乗るところでは「いま飛んでた方ですか?さっき見ましたー!」とか。そういう声かけてもらうと気分ものっていける。強いジャンパーは、間違いなくお調子者が多い気はする。
この日は一緒に行った仲間3人しか、ラージヒルは飛ばなかったみたい。貸し切り状態で、いつもの自分のペースで準備できたのも、最初なので良かったかも。
それにしても、この日をきっかけに、白馬大好きになってきた。
ノーマルもラージも、どちらもアプローチがすごく滑りやすい。座るゲートの高さが低くて、ちゃんと足がつくのでスタートしやすい。さらにラージは感動的に低い飛行曲線!観光客の皆さまに囲まれると気分も盛り上がる。この台はたのしい!!
そして、ずっと技術的なこと考えて飛んでたけど、何だかんだ言ってこの日着てたアンダーウェアは、船木さんからいただいたもの。白馬で飛ぶなら、これ着たいと思って、お守りを身につけているような気持ちで飛んだ。
ただ、もっと飛びたい。もっといきたい。
もっと空中の滞空時間の長さを感じたいと思った初ラージヒルでした。

【写真①】ノーマルヒルコーチボックスより

【写真②】ラージヒルのアプローチ。後ろには観光客の皆さま。

【写真③】ラージヒルでのフライト。写真②の数秒後。
2013年9月30日月曜日
ジャンプ生活を振り返る。
ジャンプ始めて3年が経とうとしている。
ただジャンプが好きという理由だけでここまできてしまった。
スモールヒル(K30)からスタートして、ミディアムヒル(K60)を経て、
今は、ノーマルヒル(K90)も飛べるようになった。
この10月には、いよいよラージヒル(K120)で飛ぶことを計画している。
そして今や、憧れの選手と同じチームでジャンプが出来る環境に恵まれた。
ふと、このタイミングで自分とジャンプとの出会いを思い出してみたくなった。
飛び始めてからは3年だけど、
それより前から、15年以上前から、ジャンプとは接点がある。
昔からの記憶をたどってみた。
■記憶にある最初のジャンプとの出会い
小学生の頃、白馬のジャンプ台で試合を見た記憶がある。
長野市の自宅から、朝クルマで出かけていったんだと思う。
到着が遅くなって、ジャンプ台の近くに着く頃には試合はもう終わりかけていた。
クルマの中からジャンプ台が真正面に見えてきたとき、ピンクのスーツを着た選手が赤いラインを越えて行ったのが見えた。
父親が「すごく大きなジャンプ見ちゃった」と言ってたのを覚えている。
後から記録を調べると、1995年の全日本選手権ラージヒルだったみたい。
優勝は、クルマから見たピンクのスーツでK点を越えていった選手、千葉勝利選手だった。
この試合は、当日にテレビ放送もあったので、父親に録画をしてもらったんだけれど、
何度も何度も繰り返し見ていた記憶がある。
低く伸びていって、グライダーみたいに滑空する選手がかっこよくて、ずっと繰り返し見ていた。
■長野五輪。以後急速にのめり込む
そして中学生の頃、地元長野でオリンピックがあった。
船木選手の滑らかで美しい飛型、岡部選手の鋭く低い飛行曲線。
見ていて鳥肌が立った。
このときから、ジャンプに急速にのめり込み、本格的に追いかけ始めた。
テレビ放送があった全試合録画して、トップ選手のテイクオフをことごとくコマ送りで解析してた。
146%ルールのときは憤りも感じたし、その後の岡部さんの復活には大感動した。
現地観戦にもよく出かけた。
毎年白馬のサマーグランプリにも通って、船木さんの深い前傾には驚かされた。
札幌の世界選手権、バンクーバーオリンピックでは現地まで行ってしまった。
ジャンプ競技は、すごく思い入れが強い。
中学生以来10数年、ずっと追いかけ続けてきたし、
普通は音楽にしろ趣味にしろ、好きになったり冷めたりと波があるものだけど、
ジャンプだけは、一定して好きで居続けている。
■ジャンプを飛び始めて
その後、、
約3年前、会社に入ってからだけど、長野県・飯山のコーチ、少年団の皆さまにお世話になり、ジャンプを始めることができた。
ジャンプを始められたことが、人生最高のLuckyだったと確信している。
飛び始めた当初、もちろん理想のジャンプどころではなく、K=30mの小さなジャンプ台で転んでばかりいた。
それでも、十年以上、人生の半分以上にわたって、テレビの中で追いかけ続けてきた「スキー・ジャンプを実際に出来ている」ということが嬉しくて。
ジャンプスーツを着た自分が鏡に映るのを見ると、自然と笑顔になってしまう。嬉しくて楽しくて仕方なかった。年甲斐もなく。
現在の自分の生活を見ても、普段の付き合う仲間も、大半がジャンプ関係を占めている。
ジャンプで人生が変わった!というと大げさに聞こえるけど、
事実として、週末はたいていジャンプを飛んでるし、普段連絡をとる仲間もジャンプ関係が多い。
普段の生活のかなりの部分が、ジャンプを飛ぶ前と後とでは、変わっている。
日常生活が変わるということは、人生が変わったといえると思う。幸せと感じる方向に。
技術的にはまだ駆け出しだけど、3年近くたち、ノーマルヒルは安定的に飛べるようになった。
いよいよ大会にも出たいし、もっともっと遠くへと思ってる。

【写真1】2013.8 札幌荒井山ジャンプ台(K55)

【写真2】2013.9 デビュー2戦目。妙高高原赤倉ジャンプ競技場(K90)
ただジャンプが好きという理由だけでここまできてしまった。
スモールヒル(K30)からスタートして、ミディアムヒル(K60)を経て、
今は、ノーマルヒル(K90)も飛べるようになった。
この10月には、いよいよラージヒル(K120)で飛ぶことを計画している。
そして今や、憧れの選手と同じチームでジャンプが出来る環境に恵まれた。
ふと、このタイミングで自分とジャンプとの出会いを思い出してみたくなった。
飛び始めてからは3年だけど、
それより前から、15年以上前から、ジャンプとは接点がある。
昔からの記憶をたどってみた。
■記憶にある最初のジャンプとの出会い
小学生の頃、白馬のジャンプ台で試合を見た記憶がある。
長野市の自宅から、朝クルマで出かけていったんだと思う。
到着が遅くなって、ジャンプ台の近くに着く頃には試合はもう終わりかけていた。
クルマの中からジャンプ台が真正面に見えてきたとき、ピンクのスーツを着た選手が赤いラインを越えて行ったのが見えた。
父親が「すごく大きなジャンプ見ちゃった」と言ってたのを覚えている。
後から記録を調べると、1995年の全日本選手権ラージヒルだったみたい。
優勝は、クルマから見たピンクのスーツでK点を越えていった選手、千葉勝利選手だった。
この試合は、当日にテレビ放送もあったので、父親に録画をしてもらったんだけれど、
何度も何度も繰り返し見ていた記憶がある。
低く伸びていって、グライダーみたいに滑空する選手がかっこよくて、ずっと繰り返し見ていた。
■長野五輪。以後急速にのめり込む
そして中学生の頃、地元長野でオリンピックがあった。
船木選手の滑らかで美しい飛型、岡部選手の鋭く低い飛行曲線。
見ていて鳥肌が立った。
このときから、ジャンプに急速にのめり込み、本格的に追いかけ始めた。
テレビ放送があった全試合録画して、トップ選手のテイクオフをことごとくコマ送りで解析してた。
146%ルールのときは憤りも感じたし、その後の岡部さんの復活には大感動した。
現地観戦にもよく出かけた。
毎年白馬のサマーグランプリにも通って、船木さんの深い前傾には驚かされた。
札幌の世界選手権、バンクーバーオリンピックでは現地まで行ってしまった。
ジャンプ競技は、すごく思い入れが強い。
中学生以来10数年、ずっと追いかけ続けてきたし、
普通は音楽にしろ趣味にしろ、好きになったり冷めたりと波があるものだけど、
ジャンプだけは、一定して好きで居続けている。
■ジャンプを飛び始めて
その後、、
約3年前、会社に入ってからだけど、長野県・飯山のコーチ、少年団の皆さまにお世話になり、ジャンプを始めることができた。
ジャンプを始められたことが、人生最高のLuckyだったと確信している。
飛び始めた当初、もちろん理想のジャンプどころではなく、K=30mの小さなジャンプ台で転んでばかりいた。
それでも、十年以上、人生の半分以上にわたって、テレビの中で追いかけ続けてきた「スキー・ジャンプを実際に出来ている」ということが嬉しくて。
ジャンプスーツを着た自分が鏡に映るのを見ると、自然と笑顔になってしまう。嬉しくて楽しくて仕方なかった。年甲斐もなく。
現在の自分の生活を見ても、普段の付き合う仲間も、大半がジャンプ関係を占めている。
ジャンプで人生が変わった!というと大げさに聞こえるけど、
事実として、週末はたいていジャンプを飛んでるし、普段連絡をとる仲間もジャンプ関係が多い。
普段の生活のかなりの部分が、ジャンプを飛ぶ前と後とでは、変わっている。
日常生活が変わるということは、人生が変わったといえると思う。幸せと感じる方向に。
技術的にはまだ駆け出しだけど、3年近くたち、ノーマルヒルは安定的に飛べるようになった。
いよいよ大会にも出たいし、もっともっと遠くへと思ってる。

【写真1】2013.8 札幌荒井山ジャンプ台(K55)

【写真2】2013.9 デビュー2戦目。妙高高原赤倉ジャンプ競技場(K90)
2013年8月11日日曜日
テクニックのポイント(アプローチ、テイクオフ)
ジャンプの各局面で、技術上のポイントなんじゃないかと感じたことをメモ書き。
■スタート
・本当にリラックスする。肩はだらんとしたまま。ゲートから、遠くの景色を眺めておく。
■アプローチ
・重心を母指球の上に。
スタート後、なるべく早く重心を母指球に乗せて、一度乗せたら永遠に動かさない。
重心の位置は、足裏感覚を研ぎ澄ませることでとらえられる。
つまり、スタート~アプローチ~テイクオフの間で考えるべきは、足裏感覚に集中して、重心を母指球に乗せ続けること。
もし迷ったら、ここに戻ればいい。
そして、アプローチでは絶対に動かないのが鉄則だ。
動くと重心は逃げるわバランスは崩すわ。良いことは何もない。
息を止めて、上体は下半身に載せるだけにして、微動だせずに滑るべき。
■テイクオフ
・重心の位置をめがけて、思い切り踏み込む
テイクオフでは、アプローチでとらえた重心の位置を思い切り踏み込む。
重心を感じている位置をめがけて、思い切り踏み込む。
これが、インパクトを当てるには最重要ポイントだと思う。
■空中
空中はだめだ、まだよくわからん。船木さんのジャンプ見てイメージつくらないと。
ただ、おぼろげに分かってきたことを以下にメモ。
・スキーや身体をブレさせないために
⇒テイクオフでしっかり踏みつけると良い。
テイクオフのとき、しっかりと脚のパワーで真下に踏みつけると、そこで出した脚のパワーが空中でも継続して、スキーのグリップが強くなる=スキーがブレなくなる=スキー、身体ともに空中安定する
・スキー操作
空中で前傾が深すぎると、スキー操作が難しくなる。空中分解に近い作用がある。
⇒テイクオフで潜らないよう、しっかりと真下に踏みつけて、ある程度の高さを得る。
方向は、真っ直ぐ前、なるべく遠くを狙う。
■今直したいこと
・今の自分の悪いクセは、テイクオフ直前に頭を下げてしまうこと。
⇒アプローチでは微動だにしない。背中の線を最後まで真っ直ぐにしたままテイクオフする。
今は、重心が前にあると踏み切りやすいので、頭と首を下げることで、重心を前に移動させてしまっている。しかし、この動きではヒザが戻る。パワーロスだ。頭は決して動かさないこと。
上記のように、おさえたいポイントはだんだんシンプルになってきた。
でも、
・やるべきことが実は少ないと気づいたのか、
・やるべきことは多いが、無意識で出来ることが増えたので、意識することが減ってきたのか
どちらかわからない。
だから、ジャンプを始めたばかりの選手がこれだけで良いかと言われると分からないけど、
少なくともここに書いた内容が出来てない場合、出来るようになると上達すると思う。
また、自分でも不調の原因が分からなくなったら、ここに戻ってくればいい。
■スタート
・本当にリラックスする。肩はだらんとしたまま。ゲートから、遠くの景色を眺めておく。
■アプローチ
・重心を母指球の上に。
スタート後、なるべく早く重心を母指球に乗せて、一度乗せたら永遠に動かさない。
重心の位置は、足裏感覚を研ぎ澄ませることでとらえられる。
つまり、スタート~アプローチ~テイクオフの間で考えるべきは、足裏感覚に集中して、重心を母指球に乗せ続けること。
もし迷ったら、ここに戻ればいい。
そして、アプローチでは絶対に動かないのが鉄則だ。
動くと重心は逃げるわバランスは崩すわ。良いことは何もない。
息を止めて、上体は下半身に載せるだけにして、微動だせずに滑るべき。
■テイクオフ
・重心の位置をめがけて、思い切り踏み込む
テイクオフでは、アプローチでとらえた重心の位置を思い切り踏み込む。
重心を感じている位置をめがけて、思い切り踏み込む。
これが、インパクトを当てるには最重要ポイントだと思う。
■空中
空中はだめだ、まだよくわからん。船木さんのジャンプ見てイメージつくらないと。
ただ、おぼろげに分かってきたことを以下にメモ。
・スキーや身体をブレさせないために
⇒テイクオフでしっかり踏みつけると良い。
テイクオフのとき、しっかりと脚のパワーで真下に踏みつけると、そこで出した脚のパワーが空中でも継続して、スキーのグリップが強くなる=スキーがブレなくなる=スキー、身体ともに空中安定する
・スキー操作
空中で前傾が深すぎると、スキー操作が難しくなる。空中分解に近い作用がある。
⇒テイクオフで潜らないよう、しっかりと真下に踏みつけて、ある程度の高さを得る。
方向は、真っ直ぐ前、なるべく遠くを狙う。
■今直したいこと
・今の自分の悪いクセは、テイクオフ直前に頭を下げてしまうこと。
⇒アプローチでは微動だにしない。背中の線を最後まで真っ直ぐにしたままテイクオフする。
今は、重心が前にあると踏み切りやすいので、頭と首を下げることで、重心を前に移動させてしまっている。しかし、この動きではヒザが戻る。パワーロスだ。頭は決して動かさないこと。
上記のように、おさえたいポイントはだんだんシンプルになってきた。
でも、
・やるべきことが実は少ないと気づいたのか、
・やるべきことは多いが、無意識で出来ることが増えたので、意識することが減ってきたのか
どちらかわからない。
だから、ジャンプを始めたばかりの選手がこれだけで良いかと言われると分からないけど、
少なくともここに書いた内容が出来てない場合、出来るようになると上達すると思う。
また、自分でも不調の原因が分からなくなったら、ここに戻ってくればいい。
2013夏のここまで。
2013のサマーシーズンが始まって、相変わらず飛び続けている。
●だいぶ上達してきた
最近、だいぶ上手くはなってきたと思う。
技術的には、教科書通りのテクニックに変えたことが大きく功を奏している。
ジャンプの基本に忠実に、上半身を起こさない低い飛び出しで、ロスのないジャンプを目指している。
そして何より環境面が恵まれている。
・アドバイスをくれるコーチの方々がいる(清水コーチ、内藤コーチ、飯山のコーチの皆様)
・大学生の仲間たちがいる。一緒に協力して、東京に住みながらほとんど毎週ジャンプ台に行けている
これほど良い環境で過ごせるのは、人生でもここ数年だけだろうと思う。
あとは、やっぱり自分自身ジャンプが好きなので、ずっと頭の片隅にジャンプのことがある。
自分でテクニックを考えたり、参考にトップ選手の動作を思い出したり、見たり、、
今月以降は、試合にも出れそう。(所属が決まりそう!嬉しい!)
Newジャンプスーツ(body size +2cm)も届いた。
このままどこまで走れるか分からないけど、
ただただ、もっと遠くに飛びたい。
●去年との飛距離比較
最後に、去年からの変化を、飛距離というモノサシで書きだしてみた。
■赤倉(K60)
<2012>50m, gate27
<2013>57m, gate19
去年はトップゲート(27番)から出ても、なかなか50mに届かなかった。
今年は、19番ゲートから57m(K60)
トップゲートからは、もう出なくていい。
---北海道合宿(8/5~8/14, 2013)
■荒井山(K55)
<2012>45m, gate26
<2013>57m, gate24
去年はトップゲート(26番)から45m(K55)がやっとだった。
今年は、より低いゲート(24番)から57m。とうとうK点を越えた。
■宮の森(K90)
<2012>50m, gate xx
<2013>80m, gate26
去年は50m(K90)も届かなかったんじゃないか。テイクオフも空中も、何も出来なかった。
今年は80m(P点)を超えていけた。(26番ゲート、女子選手がよく使う?)
空中での風圧=脚の裏にグーッと圧がかかる感じがすごく良くて、やみつきになる。
7月は憧れの白馬(NH)も飛べた。胸熱。65mくらい。
●まだまだこれから
そうはいっても、テクニック的には、テイクオフで悪いクセもあるし、良くはない。
空中は、まだ全く未開拓の段階だ。全くきれいなV字、あるいはH字をつくれていない。
でも、まずは、これまでの1つ1つ積み上げは活きていると信じたい。
そして、これからも改良を重ねていくつもりだ。
●だいぶ上達してきた
最近、だいぶ上手くはなってきたと思う。
技術的には、教科書通りのテクニックに変えたことが大きく功を奏している。
ジャンプの基本に忠実に、上半身を起こさない低い飛び出しで、ロスのないジャンプを目指している。
そして何より環境面が恵まれている。
・アドバイスをくれるコーチの方々がいる(清水コーチ、内藤コーチ、飯山のコーチの皆様)
・大学生の仲間たちがいる。一緒に協力して、東京に住みながらほとんど毎週ジャンプ台に行けている
これほど良い環境で過ごせるのは、人生でもここ数年だけだろうと思う。
あとは、やっぱり自分自身ジャンプが好きなので、ずっと頭の片隅にジャンプのことがある。
自分でテクニックを考えたり、参考にトップ選手の動作を思い出したり、見たり、、
今月以降は、試合にも出れそう。(所属が決まりそう!嬉しい!)
Newジャンプスーツ(body size +2cm)も届いた。
このままどこまで走れるか分からないけど、
ただただ、もっと遠くに飛びたい。
●去年との飛距離比較
最後に、去年からの変化を、飛距離というモノサシで書きだしてみた。
■赤倉(K60)
<2012>50m, gate27
<2013>57m, gate19
去年はトップゲート(27番)から出ても、なかなか50mに届かなかった。
今年は、19番ゲートから57m(K60)
トップゲートからは、もう出なくていい。
---北海道合宿(8/5~8/14, 2013)
■荒井山(K55)
<2012>45m, gate26
<2013>57m, gate24
去年はトップゲート(26番)から45m(K55)がやっとだった。
今年は、より低いゲート(24番)から57m。とうとうK点を越えた。
■宮の森(K90)
<2012>50m, gate xx
<2013>80m, gate26
去年は50m(K90)も届かなかったんじゃないか。テイクオフも空中も、何も出来なかった。
今年は80m(P点)を超えていけた。(26番ゲート、女子選手がよく使う?)
空中での風圧=脚の裏にグーッと圧がかかる感じがすごく良くて、やみつきになる。
7月は憧れの白馬(NH)も飛べた。胸熱。65mくらい。
●まだまだこれから
そうはいっても、テクニック的には、テイクオフで悪いクセもあるし、良くはない。
空中は、まだ全く未開拓の段階だ。全くきれいなV字、あるいはH字をつくれていない。
でも、まずは、これまでの1つ1つ積み上げは活きていると信じたい。
そして、これからも改良を重ねていくつもりだ。
2013年2月5日火曜日
後輩ジャンパーたちの活躍
今年に入ってからあった、ジャンプで嬉しいニュース。
■後輩ジャンパーの活躍
知る人ぞ知る、の世界だけど、
出身校のジャンパーたちが、国立大学の大会で大活躍した!
この元旦にあった大会で、優勝、そして入賞も。
1年前と比べて大躍進を遂げた。
胴上げ、現地で見たかったな。
■彼らのすごさ
みんなやっぱすごいな。
というのも、日々のトレーニングをきっちりやるからだ。
実は彼ら、驚くほど時間はない。
活動費捻出のためのバイトと、当然試験もあるからだ。
その中で、鋼鉄の精神で戦っている。
また、単にジャンプ技術意外のところでも、
協力し合ったり、時には自分を犠牲にしても仲間を助けるチームに思える。
友人を一つ越えて、仲間、戦友、とでもいうべきチームなんじゃないかな。
■来シーズンに向けて
今年に続いて、優勝を狙えるチームで行きたい。
当然、狙った成績を残せなかったメンバーもいた。でも、努力はしていた。
だから、今年取り忘れたものは、来年取りに行けばいいだけだ。
今は、ただの最高のジャンプ集団だけど、来年は最強のジャンプ集団を目指して戦っていきたい。
僕も、まだまだE.OPIのエースの座は譲る気はないので、
オフシーズンはイメトレとストレッチをしっかりやっていこうと思います。
■後輩ジャンパーの活躍
知る人ぞ知る、の世界だけど、
出身校のジャンパーたちが、国立大学の大会で大活躍した!
この元旦にあった大会で、優勝、そして入賞も。
1年前と比べて大躍進を遂げた。
胴上げ、現地で見たかったな。
■彼らのすごさ
みんなやっぱすごいな。
というのも、日々のトレーニングをきっちりやるからだ。
実は彼ら、驚くほど時間はない。
活動費捻出のためのバイトと、当然試験もあるからだ。
その中で、鋼鉄の精神で戦っている。
また、単にジャンプ技術意外のところでも、
協力し合ったり、時には自分を犠牲にしても仲間を助けるチームに思える。
友人を一つ越えて、仲間、戦友、とでもいうべきチームなんじゃないかな。
■来シーズンに向けて
今年に続いて、優勝を狙えるチームで行きたい。
当然、狙った成績を残せなかったメンバーもいた。でも、努力はしていた。
だから、今年取り忘れたものは、来年取りに行けばいいだけだ。
今は、ただの最高のジャンプ集団だけど、来年は最強のジャンプ集団を目指して戦っていきたい。
僕も、まだまだE.OPIのエースの座は譲る気はないので、
オフシーズンはイメトレとストレッチをしっかりやっていこうと思います。
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